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03.25
Sun
少しだけですが



 あのな、香夏ちゃん。君、うちに養子にこんか?
 いやなに、君のお兄さん、俊二くんが今うちでアルバイトをしとるんやけど、本当によく働いてくれてね。ただ最近、とても疲れたように見えるんや。学校も行って、それに仕事もしてってなると、そりゃ大変やろうなって。私も考えたんや。
 俊二くんは、お母さんの分まで君のこと守らないかんって、きっと考えとるんやろうなって。
 ああ、君のことを悪く言うつもりやないで。けど、俊二くんにとって、やっぱり君が負担になっとるんと違うかな。
 君も、そして俊二くんもまだ若い。これから先、未来のある人間や。私はね、香夏ちゃん。こんな大変な中、必死で頑張っとる君たちのことを応援したいと思うとる。
 君がうちの養女になればお兄さんは楽になる。君もお金の心配なんかせんでええ、進学もできるようになる。
 だからな、香夏ちゃん。この話、真剣に考えてもらえんやろうか。

***

 永倉さん。
 以前から、よく気にかけてくれるいい人だ。穏やかで、それに誠実そうで、今回のことも有り難い申し出の筈だ。
 けれど、昨夜の兄の様子。
 それが気にかかった。
 赤の他人に頼るのも気が引けたが、あの人の言うことは尤もだと思った。兄の足枷になりたくない。兄の将来を潰したくない。だからちゃんと考えないと。そう思っていたのに。
 あの後、一人で戻ってきた兄が言ったのだ。

 香夏、余計なことは考えるなよ。おまえはおれがなんとかするから。だから……

 聞きたいことはあったが、兄はそのまま口を閉ざしてしまった。
 兄が何か隠していることには気づいていた。母が死んで、そのすぐ後から、兄の表情に翳りのようなものを帯びるようになって、ずっと気になってはいた。しばらくして、兄の様子が変わった。誰かいい人ができたのだとすぐにわかった。辛い中で、けれどそんな人が、兄に寄り添ってくれる人がいるなら、もう大丈夫だって思った。それでも時折疲れたような顔をすることはあったけれど。でも、それでもなんとかなるかもと思っていた。それはどれだけ辛そうな表情をしていても、ふと和らぐ瞬間があったからだ。
 もう少しだけ、迷惑をかけることにはなるけれど、高校を卒業したら働くから。けれど、そんな風に考えていたところに、あの養子縁組の話があって。少しでも早く兄を解放できるならって、そう思うのに。
 兄はきっとまだ自分に何か隠している。
 恋人ができたとか、そんななら別に構わない。そんな幸せな隠し事であれば、別にわざわざ聞き出さなくたっていい。
 だけど、兄が何か困っているなら、苦しんでいるなら助けになりたいと思う。
 だって、もうたった一人の家族なのだ。
 ちゃんと話をしなくちゃ。
 でも、
 話をしようとしたところで、きっとうまくはぐらかされてしまう。
 どうすればいいんだろう。
 学校からの帰り道、ずっとそんなことを考えながら歩いたが、解決策は浮かばなかった。
 重い溜め息をゆっくりと吐きながら、アパートの階段を昇った香夏は家の扉の前に佇む人影を見つけて小さく声をあげた。

「あっ」

 人影は手元の携帯から視線をあげると、香夏を振り返った。
 眼鏡をかけた優しげな面立ちの青年。

「香夏ちゃん。久しぶりやな」
「海音寺さん……」
「瑞垣の携帯、相変わらず繋がらんくて、なかなか連絡とれんから来てみたんじゃけど、そういや今日はバイトや言うとったっけ。それより、香夏ちゃん、なんや元気ないみたいやけど、何かあった?」

 香夏は何故かとても胸苦しくなって、半分泣きそうになりながら無理矢理微笑んだ。

「海音寺さん、お兄ちゃんのことで、相談したいことがあるんやけど、少し話してもいい?」
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