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何も信じない。
誰にも頼らない。
甘い言葉にはいつも裏がある。
あいつだって所詮はあの男の子どもだ。無垢で、誠実そうな顔をしていても、あの男の血が流れているのだ。
だからもう、放って置いてほしい。
関わりたくない。
そう思っていたのに。
なのにどうしてだろう。
―――――おれに何かできることはありませんか?
何故かあの時、後ろめたいような気になった。
酷いことをしている気がして、胸が痛んだ。それは、あのまっすぐに向けられる眼差しに偽りがないと気づいたからだ。
けど、だからどうした。
どうせ彼には、なにもできない。
結局、どうしようもないのに期待するだけ馬鹿馬鹿しい。
「お兄ちゃん?」
冷たい掌が額に触れる。
妹が心配そうに覗きこんでくるのに、はっとする。
「お兄ちゃん大丈夫? 顔色よくないけど体調悪いんと違う?」
「何でもない」
「けど……」
「ええからさっさと学校行く用意せえ。遅刻しても知らんぞ」
「まだ時間あるもん。それより、なあお兄ちゃん、うちもやっぱりなんかバイトとか」
「アホ、いらん気ぃ回すな。おまえはしっかり学校行って、しっかり勉強せえ。おまえはおまえのことだけ考えといたらええんやからな」
古いテーブルの前に腰を降ろして、香夏は思い詰めたような顔になる。
「せやかてお兄ちゃん最近ずっとしんどそうなんやもん。お兄ちゃん、うちな。考えとったんやけど、前に言うてた永倉さん。あの人よく気にかけてくれてるやんか。確か前にバイトどうやって言うてくれてたし、行かせてもらえんかなって……」
そしたら多少でも生活費の足しになるやろうし。
妹のそんな言葉がどこか遠く聞こえる。俊二は一瞬呼吸も忘れて、目を見開いた。
香夏が小さく首を傾げる。
「お兄ちゃん?」
「あ、かん! 絶対あかんぞ、そんなこと、許さんからな!」
俊二は椅子を蹴倒す勢いで立ち上がり、震える声で言う。激しい剣幕に香夏はびくりと肩を跳ねさせ、表情を強張らせた。
しかし持ち前の気の強さがすぐに彼女を立ち直らせた。同時に俊二も我に返る。
「そ、そんな怒らんでもええやないの。そりゃうちの学校バイト禁止やけど、でもきっと永倉さんなら黙っておいてくれるやろうし」
「そういう問題やない。ええな、お金のことはおれがなんとでもする。やからおまえはちゃんと学校行ってしっかりお勉強せぇ、今おまえがすべきことはそれだけや」
強く言い置いてから、俊二は家を出た。
用意した朝食は殆ど手がつけられておらず、香夏は苦しげに顔を歪めた。
***
「俊二くん」
境内で掃き掃除をしていると、呼ばれた。虚しい気持ちで頷くと、男は家屋の中に消えた。
ほうきとちりとりを片付けて、いつもの部屋に向かう。
男は畳に敷かれた布団の上に座り、俊二に言った。
「来なさい」
自らの膝に招き寄せ、座らせる。手が頬から首筋を撫でてきて、その感触にぞっとする。
「ああ、そうや。俊二くん、来月辺りにな旅行に行こうと思うとるんやけど、いい温泉があってな。土日やし、君も行かへんか?」
「せっかくやけど、他のバイトが入っとるんで」
嘘ではない。
俊二は他にも居酒屋や家庭教師の仕事をしていて、それは男も承知のはずだ。
けれど男は言った。
「そぉか、残念やなあ。そんなら、代わりに香夏ちゃんでも誘おうか」
「!」
身を竦ませた俊二に、男はぐっと体重をかけ、布団に押し倒す。そうして上に覆い被さると、唇に唇を押し付けてくる。
男の舌が捩じ込まれ好き放題に嘗め回される。
固く瞼を閉じて耐える俊二から、男は顔を上げ、唇を歪ませる。
「まだ先の話や。シフトの調整くらいできるやろ」
「………頼んで、みます」
「ええこやな」
男は満足げに頷いて、着物の合わせ目に手を差し込んだ。
「それとね、俊二くん。今日は生でしたい気分なんや。ええかな」
どうせ拒否権などないくせに。
「お好きにどー………」
毒づきたい気持ちをぐっと抑え込んで承諾の言葉を口にしかけた俊二は、そこで驚きのあまり身体を硬直させた。俊二だけではない。今まさに純白の衣を暴こうとしていた男もまた唖然として、部屋の入り口に目を向けていた。
開け放たれた扉。
ずかずかと踏み込んでくる足音。
彼は二人のすぐ傍から見下ろし、男を睨みつけた。
「豪、おまえ……」
「親父最低や」
彼は父親を突き飛ばし、俊二を助け起こすと、その手を掴んで部屋を出ていく。
背後で男の制止する声にも彼は耳を貸さなかった。
境内を抜け、長い石段を降りかけたところで我に返る。
「ちょ、待て! 待てって!」
一、二段降りたところで、俊二が手を振り払うと、彼はようやく足を止めた。
沈んだ声が、ぼそぼそと聞こえる。
「すみません……」
痛いほどに強く掴まれた手首を擦りながら、俊二は青年の後ろ頭を見つめる。青年は振り返ろうともせずに、更に言う。
「余計なことじゃって、わかっとるんです。けど黙って見てられんくって……」
それきり黙り込んでしまったので、俊二はなんだか居た堪れなくなる。それでつい、言ってしまった。
「……情けなんかいらんぞ」
「違います!」
青年は、静かだが強い口調で言い、身体を反転させた。そうして、きょとんと首を傾げる俊二と目が合うと、慌てて視線を逸らす。
「違うんです、ただ…………」
もごもごと口を動かす青年はどうにも歯切れが悪い。
そういえば、ちゃんと話したこともないなと俊二は思って、青年の言葉をゆっくり待った。
やがて純朴そうな瞳が上がると、彼は一つ深呼吸をし、それから言った。
「おれ、あなたのことが好きです」
一瞬言われた言葉の意味が呑み込めず、俊二は目を瞬かせる。その反応をどう捉えたのか、青年の視線はだんだんと下がっていく。
「すみません、こんなこと……でもなんか、その、あなたのこと好きになってしまって、だからあなたがあんなことしてるのが嫌で。ごめんなさい、事情はなんとなく知ってるのに………けど、どうしても放っておきたくなかったんです」
声は弱々しく、萎んでいくようにして消えた。
すっかり俯いてしまった青年の頭に掌を置いて、俊二は少しだけ笑った。
「あほやな」