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10.10
Tue

「瑞垣!」

 大学のキャンパスを歩いていた瑞垣は、遠く呼ばれる声に足を止めた。声の方を見ると、駆け寄ってくる友人の姿があった。何だか随分久しぶりな気がする。それもそのはず。大学生活も4年目ともなれば、必要な単位は取得してしまっている者が多く、就職活動も始まるから大学に来ること自体が少なくなる。現にリクルートスーツ姿のその男は、走ってきた方向からして学務課にでも行っていたのだろうと思われた。

「なんや、海音寺。おれ忙しいんや」

 ちょうど午前の講義を終えて、帰ろうかという時だった。とはいってもこの後は気乗りしないバイトが待っている。

「ちょっとだけ……あ、昼飯まだじゃろ? 昼飯くらい時間取れるよな?」

 半ば強引に食堂へ引っ張られ、安い定食を二人でつつく。値段の割に味は悪くない。利用客は学生に留まらず、老人や子連れの主婦といった近隣の住民にも幅を広げていた。テーブルの周りを子どもが駆け回っている。子どもの甲高い声が寝不足の頭に響く。
 顔を歪ませる瑞垣に、海音寺が話を切り出した。

「瑞垣、おまえ最近どうしとるんや?」
「どうって見ての通りやけど」

 海音寺の問いかけに瑞垣は肩を竦めてみせる。
 質問の意図は何となく察しがついているが、気づかないふりをした。

「見たとおりって……そういうことやのうて、その、相変わらずアルバイトで忙しいのかとか。携帯にかけても出んし」
「だから最初からそう言うとるんやないか」
「卒論とか就活とか、ちゃんとできてるんか?」

 瑞垣はぴたりと箸を止めて、視線を上げる。

「おまえはおれのおかんか」
「香夏ちゃんが心配しとる」

 すかさず返ってきた答えに、思わず舌打ちする。

「香夏のやつ……」
「おれかて気になっとったんや。おまえ少し見んうちに痩せたよな」
「おれ今ダイエット中なの」
「チキンカツ定食選んでおいてか?」
「チキンは豚よりヘルシーじゃろ」
「ササミならな。話を逸らすな」
「へえへえ、ま、一希ちゃんのご心配には及びませんよ。卒論は滞りなく進んどるし、就活はまだその時期じゃねぇってだけや」
「そういや瑞垣、公務員志望だったか?」
「そういうこと。だから活動するのはもうちょい先ってわけ」

 地方公務員の募集は夏の少し前頃から始まる。本格的に動き出すまでにしておきたいことはいくらでもあった。
 それはともかく、これ以上この話題は面倒だなと思って、瑞垣は相手の方へと水を向ける。

「大体なあ、他人の心配しとる場合じゃねぇやろ。おまえかて就活中だってのに」
「おれのことはええんや。おれはそれだけに集中することができる」

 けどおまえはそうじゃねえだろ?
 海音寺は言外にそんなことを訊ねてくる。再び舌打ちが零れ出そうになるが、かろうじて堪えた。

「なあ瑞垣。おまえ無理だけはするなよ」
「無理やかしてねえよ。おれのことはおれが一番ようわかっとる。じゃあな、おれこれから予定が詰まっとるんや」

 これ以上の干渉は一切許さないと言わんばかりのすげない口調に、海音寺もようやく諦めて口を閉じる。瑞垣は半分ほども残して食事を終えると、食堂から出て行ってしまった。

***

 神社で巫女装束を纏い、簡単な作業の後に、むさい中年男と体を重ねる。
 最も気の重い時間をどうにか乗り越え、瑞垣は今度は夜の歓楽街へと足を向ける。居酒屋のホールスタッフ。こちらも母親を亡くしてから始めたバイトだ。それよりも以前からしていたのは家庭教師のバイトで、これもなかなか割のいい仕事ではあったが、それだけでは二人分の生活費としては頼りない。
 それに妹は今年受験生なのだ。蓄えは少しでも増やしておきたかった。
 夜の7時を過ぎると、店内は賑わいを見せ始める。特に週末は客の入りが多く、息つく暇もない。

「ビールとレモンチューハイ、それから唐揚げ追加で」

 厨房に声を投げると同時に呼ばれる。注文を受けて、空いた皿やジョッキを回収し、できた料理を運ぶ。目まぐるしい忙しさに昼間の疲れもあって、瑞垣は鈍く痛む頭を押さえた。その時―――

「おいお前どういうことや!!」

 テーブルを叩く音と共に耳障りな怒声が響いてきた。何人かの客とスタッフが思わずといった様子で声の方向に視線を向ける。

「この店は一体どないなっとるんや! 客の心配より床の心配するんか!?」
「いえ、そんな!」

 激昂する客の前で狼狽え、必死に頭を下げているのは瑞垣よりも少し後にアルバイトとしてやってきた青年だ。青年というより、少年の無邪気さを持つ男で、気が優しく、のんびりとした性格をしていた。元々幼い顔立ちが、今にも母親に叱られた幼児のように、今にも泣き出しそうに歪んでいる。
 瑞垣は頭の痛みを堪えて、後輩の前に出る。

「失礼します、お客様いかがなさいましたか?」
「はぁ? 見たらわかるじゃろ! こいつが酒のグラス倒したんや! それで客のおれよりも床が濡れることを心配しよって、まったくこの店は従業員などんな教育しとるんや! ええか、おれは客や、金払っとるんやぞ!」

 男は一気に捲し立てるように言った。瑞垣は思わず顔をしかめる。ただでさえ調子が悪いところに間近に怒鳴り声を浴びせられたこと自体が不快だったが、身勝手な言い分にも腹が立った。
 客だったら、金を払ったら、何をしても許されるのか。
 内心そんな思いがあって、それが表面に現れていたらしい。

「おい、なんやその目は」

 肩を突かれてふらつく。
 不穏な空気に周りからそろそろ止めておけと言う声があがるが、男は聞く耳を持たない。
 辺りは静まり返っていて、いくつもの視線を感じた。

「おい」

 客の男が言う。
 高圧的で、不遜な態度。
 気に入らない。

「土下座せぇ。地べたに這いつくばって、申し訳ございませんでしたって言えや。お客様は神様なんやろ?」

 殴りたいような衝動に駆られながらも、ぐっと唇を噛んで堪える。身体の両脇で握りしめた拳を強固な意思で抑え込む。
 矜持など、既にあってないようなものだろう。
 さっさと言うとおりにして、この場を収めてしまえ。
 こんなアホな酔っぱらいに構って、仕事を失うわけにはいかない。
 必死に自分自身へ言い聞かせる瑞垣の思考に、静かな言葉が割り込んできた。

「もうその辺にしてもらえませんか?」

 声は階段近くのテーブルから上がった。大学生だろうか、若い男女が集まる中、一人の青年が立ち上がっている。
 青年には見覚えがあった。
 純朴そうな丸い目と、がっしりとした大きな身体が印象的な、いかにも人の良さげなタイプに見える。
 けれど瑞垣の心象はよくなかった。話したことはないに等しく、実際どんな男かは知らない。
 ただあの男の子どもというだけで瑞垣の気に障った。
 酔っぱらいが振り返り、今度は青年に絡み始める。

「なんやと? おい、兄ちゃん。おまえさんには関係のないことやろ。口出しせんといてもらえるか」
「みんな楽しく飲んでるんです。それなのにそんな無茶苦茶なことを言って、場の空気を悪くせんでください。それにその店員さん、最初からちゃんと謝ってたやないですか。もういいでしょう」

 酔いとは別に、男は顔を真っ赤に染めた。

「どいつもこいつも、最近の若いのは生意気なやつばっかりや。年長者は敬うもんやろ……」

 男は小刻みに身体を震わせぶつぶつ独り言のように言う。
 そうして、とうとう怒りが爆発したらしい。

「一体誰に向かってものを言うとるんや、なあオイッ!!」

 男がテーブルを叩いてグラスが倒れ、床に落ち、パリンと高い音を立てて割れた。
 男の手が乱暴に瑞垣を押し退け、傍らの後輩が咄嗟に支えてくれる。
 青年に掴みかかった男を周りが慌てて止める。最終的に警察が駆けつけて、どうにか騒ぎは収まり、男は半ば押さえつけられるようにして店の外に連れ出された。
 椅子に座って、ほっと息をつく青年にタオルで包んだ保冷剤を差し出す。

「アホやな。あんな時は黙っとくんが一番や」
「そう。そうですよね、けどなんかつい……」
「病院、行かんでほんまにええんか?」

 青年は保冷剤をタオルから出して直接頬に当て、痛みにか眉を僅かに寄せながら頷く。

「平気です。口の中を少し切ったみたいですが、歯も別にどうにかなってるわけでもなさそうなんで。あの人多分相当酔ってたんでしょうね。足元ちょっとふらついてたし」
「そうか……まあおたくがええならそれで構わんけど。そろそろおれ仕事戻るわ」
「あ、すみません。おれと一緒にいた、同じ大学のゼミの仲間なんですけど……」
「ああ、今ちょうど警察に事情聞かれとるとこや思うぞ」
「そうですか」
「もうちょっとしたら終わるんやないか? それまでここおってええぞ」
「はい、あの」
「なんや、まだなんかあんのか」

 早々に立ち去りたい気分で返す瑞垣に青年はやや遠慮がちに切り出した。

「親父のことですけど……」

 瞬間、忘れかけていた頭痛がぶり返す。
 できれば今は考えたくないのに。
 苛立ちにささくれた声で、瑞垣が言う。

「やめんからな」
「………」
「おれも生活がかかっとるんや。おまえさんには悪いと、思うとるけど……」

 ぎゅっと唇を噛んで、瑞垣は視線を床に落とす。
 僅かに間があって、青年が言った。

「おれになにか出来ることはありませんか?」

 思いもよらない言葉に、瑞垣は戸惑う。
 青年は椅子から立ち上がり、瑞垣を真っ直ぐに見据えてきた。
 濁りのない目。

「親父のことはいいんです。そうでなくて、ただ……あなたがあんなことしなくていいように、なんとかできないかなって」

 辿々しくも、嘘のない言葉だということはその様子から自然と伝わってきた。けれど彼の真摯な態度は、反対に瑞垣を居心地悪くさせた。

「ない。だからもう、放っといてくれるのが一番や」
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